しがない長女の備忘録

日々生きるのに必死

マナー云々は経験値がモノをいう

学生時代、群れるのがとにかく苦手だった。

だからといってぼっちだったわけではない。ちゃんと友達はいたし、この子といるとこのグループ、あの子といるとこのグループみたいな感じで、ちゃんと群れの中にはいた。

卒業後も年に一回あるかないか程度で集まりにも誘われた。最初の1~2回は行ったけど、それ以降は記憶がないから行ってないんだろうな。

元々卒業したら消えそう(自ら連絡を取るタイプじゃなかったから)と言われていたし、みんな私の事をそれなりに理解してくれていたんだろう。しつこく誘われる事もなく、たまに個人的に会ったりとその程度で薄く繋がっていた。

二十台中位まで頑なにガラケーを使っていたのもあり、どんどんと学生時代の友達と疎遠になっていく。

 

そんな感じで生きてきたから、私は友達の結婚式というものに参列した事がない。

高校で知り合った友達の中で惜しみなく祝儀を出せる子と言えば、パッと思い浮かぶのは一人だけど、最後にあったのは五年以上前かな~。丁度新しい彼氏出来てたけどどうなったんだろう。

その後の友人関係と言えば、趣味で繋がった子たちになるんだけど、これがまた結婚したかと思えば式は挙げないとか身内だけスタイルが多く、アラサーになった今も友人の結婚式に参列した経験がないままである。

出したくないけど義理で三万包んで行ったとかよくある話だけど、参列しない事で切れたり拗れる縁ならそれまでだし、その三万を気持ちよく出せない時点でその程度だという事に気付いた方がいい。

というわけで心からお祝い出来る子で今浮かぶのは三人。そして、その中でも私の人生になくてはならない存在のお友達が今回式を挙げる運びとなった。

 

披露宴は身内のみで行うとの事で、よければ挙式にと声をかけてもらえた。嬉しい——が、彼女が今趣味で繋がっているのは恐らく私だけ。つまり、挙式のみとはいえ、初めての友人の式にぼっちで参列する。急に難易度が上がった。

とりあえず自分がというより、友達が恥をかかないように当日の恰好やアクセサリーなど色々とマナーについて調べるも、アホほど出てきてわけわからん。しかも、今回は夕方から。こうなるとイブニングドレスとなんだっけ…とにかくなんか昼と夜とじゃ求められる格好が変わってきますとか出てくる始末。パーティじゃなくて挙式だから別問題だとは思うけど、なんか挙式ならセミフォーマルとか…わーーーーーーー!うるせーーーー!!!葬式みたいに分かりやすくしてくれーーーーー!!!!

 

そう、そこでね、タイトルに繋がるわけです。

 

つい最近お世話になっていた方の葬儀のお手伝いをしてきたんだけど、葬儀のお手伝いというものをしたのがこれで三度目だった事もあり、大変スムーズにすすめられる事が出来たのね。

でさ、内側にいるとパッと見じゃわからなくても、うわ~~非常識だなコイツみたいな奴に出くわすわけよ。芳名帳とか顕著ね。それでいくつか張り倒すぞって感じのヤツいたけど、なんかそういうのってその人がアホなのもあるけど、単純に知らない可能性もあるわけで。

親戚はもちろん自分の身近な人が誰一人亡くならずに生きてきた同世代の人だっていると思うんだよね。そういう人って知らないから、色々見聞きしてきても実際に来てやらかして帰ったりする。

葬式も結婚式も必ず誰かと連れ添っていくわけではない。傍で教えてくれる人がいるとは限らない。

そう、つまりは経験値。場数。知識も大事だけど、実際に経験してあれがこれでそれがどれでって理解していくものだと思うのよ。

結婚式もそう。こんな堅苦しく考えてるけど、実際に行ってみたらああ、そういう恰好で良いのねとかそういうのがわかってくるわけじゃないですか。

でもね、参列者から見れば私は普通の大人なわけで。結婚式経験値ゼロだとは思われないわけですよ。つまり、私が何かやらかした場合、恥をかくのは誰か——そう、大好きなお友達という事になる。

「何あれ、新婦の友達っぽい」みたいな事になったらそれこそ死ねる。

最悪のシナリオを回避すべく、ネットで色々調べまくって…これの繰り返し。

 

とりあえず近々本人に会うから全部聞こう…本人に聞くのが手っ取り早い。

本来他の友達に聞くんだろうけど、良い。今回は本人がいい。多分そう。

 

一番大事なのはお祝いする気持ち。

そしてそれと同じくらい大事なのが、いかにその場に馴染むかだ。

ぼっち参列の陰キャが今覚えるべき事は、iphoneで最高の写真を撮るテクニックと空気になる方法、これに尽きる。

とにかく無事めでたい日を迎えられますように(既にドレス買いなおしたい…)

【死亡/相続】不動産の相続登記について①

よし、いざまとめようと思ったものの、あの頃の忙しさが尋常じゃなかった事と半年以上前な事もあって既にあやふやになりつつある事に気付いた——が、本当に苦労したので、どうにか思い出せる事だけでもまとめておきたい。

自分のやった事まとめの意味もあって時系列で書くから、登記の事だけをみたい人にもわかりやすいように起承転結的な感じで区切ろうと思う。

 

 

 

まず、死亡後色々やる事はあるものの、我が家の場合はローンあったので不動産登記(以下相続登記)は最後の最後に後回し状態だった。その理由と諸々はこちらをどうぞ。

 

正直相続登記なんてやらなくてもって思ってたんだけど、色々ネットで検索していると令和6年4月1日より相続登記が義務化されるという文字を見つけてしまった。

詳しい事は調べていない。なので、義務化されてからが対象になるのか義務化されたら今までのもの全て対象になるかは分からないものの、もし後者だった場合に司法書士もそれを受ける法務局も大忙しになるだろうと思ったので、今のうちに面倒事を済ませようと重い腰を上げた。

 

相続登記を自力でやろうと思った理由は金銭問題。これに尽きる。

それと助っ人的な感じで頼れる人がいたのも後押しになった。

 

自分でやると決めて一番に調べたのはもちろん公式である法務局のサイト。けどまあこれを一回見て理解出来る素人は一握りだと思う。

公式が出しているひな形を開きながら親切丁寧に説明が書かれているサイトはないかと探した。結果はないと言っても良いのは?って感じ。ネットは情報が溢れているように見えるが、実際はそうでもない。おおまかな事をまとめているものは山ほどあったけど(司法書士とかのサイト)経験談とか自分が見たい内容が書かれているものはほぼ皆無。

 

じゃあ今まで自力の人はどうしていたか……本来であれば法務局が教えてくれるらしい。10分だか30分の時間制限が設けられているものの、ここはこれであっているかとか書類を見てくれるシステムがあったんだとか。

私が悪戦苦闘している時まだ世間はコロナ対策中だった事もあり、このシステムは存在こそしていたが、電話制に代わっていた。今はどうなってるか分からないけど、まずその枠を予約する為に電話をかける。これがまあ繋がらないので、早々に諦めた。

 

あ、そうだ。多分都度悪口言うと思うんだけど、法務局の手続きをするにあたって役所の人間に過度な期待をするな!!!基本クソしかいないと思え!!!そう思う事で普通の人にあたった時にラッキーって感じられるので、とにかく応対に対するハードルを下げる事を強くおすすめする。

 

電話で相談した人とかでなんの役にもたたなかったって書いてる人もいたし、それこそいい事書いてる人なんて一握りレベルでひどいって書いてる人ばっかりだったし、実際私も行ってそう思った。

 

今一度、相続登記を自力でやろうと決めてここへたどり着いた人へ

役所は役所でも法務局の人間はそれまでに行ったであろう区役所とかそういったところの人間とは全く異なるっていうか最早違う生き物レベルで違うので、本当に本当に!過度な期待を持たない事!!!!!

 

登記をやるうえで一番重要な事なのでしつこく書いた。これをまず深く刻んでおく事。それが一番大事。

 

なんか内容にまとまりつかなくなってきたので、これを①とする。

②必要なもの

③まとめ方

④実際に提出して

って感じでまとめたい(希望)

【死亡/相続】不動産屋のダイレクトメール

このブログを開設した一番大きな理由、それは相続登記のやり方について残しておきたかったからなのに、未だに書いてないのね~~~~わかってる、分かってるんだ。何も思い出せなくなる前にやれってね!!!今年中に書きます!!!

 

で、その登記を無事終わらせた私。

登記完了して間もなく(一週間そこら)大量のダイレクトメールが届くようになる。どこからかって?不動産屋だよ!!!!!

「相続で売却をお考えの方~」とかこっちは必死で諸々変更終わらせたってのに、なーにが相続で売却だ!アホか!勝手に送ってくんな!!!とブチ切れながら毎度それらをビリビリに破いている毎日。

 

そもそもどこからかぎつけてきたわけ???個人情報漏洩が過ぎる!なんて思ってたわけだけど、その情報を流しているのは国(法務局)なわけで。

不動産登記情報ってのは誰でも見れちゃう仕組みになってるんだと。迷惑な話よ。私が文字通り汗水流して終わらせた登記は金を時間と金を奪い、その後は人の情報勝手に流していらん手紙よこさせる……どうかしてる。

 

律儀に止めろって連絡するのもダルいし、受取拒否すんのもダルいので、今日以降も私は送られてきた不動産屋からのダイレクトメールを呪詛を込めながらビリビリに破き続ける。

 

 

今年中とか言ってるけど、一日でも早いに越したことはないってわかってるので、早くまとめます。自分の為にも。

無意味なたられば

私は対面で自分のネガティブな感情を吐露するのが得意ではない。

だけど、無性にどうにもならなくて涙があふれてくる時がある。それは自転車に乗ってる時だったり、仕事中だったり、電車の中だったりと様々。

ここ一年くらいの涙の理由はほとんどがいつの間にか死んでいた父についての事だった。

いつか、そう、いつかは兄弟でああしてあげたかったとかそういう話を過ぎた話として何でもない事のように話せたらいいなとは思ってる。だけど、今はまだ難しい。

一番下の妹も今年三十になる。もうみんないい大人だ。

それでもまだ話せないのは亡くなって日が浅いのもあるけど、私が彼らを大人として扱えてないからかもしれない。

 

私は既に起こった過去の話に~だったら、~していればなどとつけて話すのが嫌いだ。だって、無意味だから。ただの懺悔や後悔の吐露でしかないから。

けれど、なんの後悔もせずに生きていられる人間なんていない。それが些細な事であろうと「あの時ああしていれば」と一度でも思った事はないという人間は稀有だろう。

だけど、嫌いなものは嫌い。だから、せめて口には出さないように心の中で呟く。その結果、どうにもならない感情が涙として現れる。

例えばこんな事をつらつらと書いていれば、否応にも父の事を考えてしまうから会社のデスクだというのに涙はポロポロと零れ落ちていく。

電車に乗っている時はさすがに焦った。この現象は特に父に思いを馳せてなくても急にやってくる。涙が出た事をきっかけに父への後悔があふれ出してくる。

父が亡くなってからというもの彼が好きだったものに触れるようにしているので、おそらく原因はそれだと思う。

 

私がもっと父を許せる余裕があれば——

あの時に父の好きな音楽について語ることがあれば——

もっと感謝の気持ちを伝えられていたのなら——

 

もういない人に優しくしたってなんの意味もないのに。そんなの自分の気持ちに落としどころを見つける為の行為でしかないのに。

どうして人間というのは失わないと気付けないのだろうか。どうして私は失わないと気付けない側の人間になってしまったんだろうか。

 

そんなの悩んで落ち込んだってしょうがないのに。

何か改心したところで父が戻ってくるわけでもないのに。

 

こんなに後悔でいっぱいなのに、私はまたこの感情を忘れるんだろう。

そして、失ってまた泣いて。生きるって面倒くさい。生きているだけで金は搾取されるし、多様性だとかなんだとか言ってややこしいことが増えていく。

それでも私は死ぬ気はないから生きるしかない。生きるために働いてお金を国に納めなければならない。余裕なんてものはないけど、それでも突然来るその日の為に毎日小さな思い出を作ろうと思う。

 

父が亡くなって思った事は何をするにも撮影者だったから、残された写真や映像が極端に少なかった事。だから私は思い出をおさめる為に様々な媒体を駆使してこの瞬間を残す事に努める事にした。

 

出来るだけ後悔を減らせるように。今はそれが私の人生の基軸。

親知らずメモ(二本目)①-抜歯

半年ほど前に今更ながらにして親知らずを抜いた経過を書いた。

その時に「反対側も抜いたほうがいいですね」と囁く感じで言われていたわけだが、結局その歯が虫歯っぽくね?となって抜く事となった。

 

zh0617.hatenablog.com

というわけで、案の定超人気の病院で約二カ月先の問診日を予約し、問診時に抜歯日を決めたものの、こちらも約二か月後――ようやっと抜いてきた。

今回も抜歯自体は30分そこらで終わった……が、またしても先生の囁く言葉が耳に届く。

「んーー硬いな」

そう、それは歯医者で根管治療?だっけ、やってる時も言われてた事だったんだけど、歯が硬いって普通では??やけに脆い人はいるかもだけど、もしや私って石のような歯なの??すぐ虫歯になるくせに???

この時私は硬い硬いと言っていた歯医者を「お前の腕がないのでは」と思っていた事を心の中で謝罪した。町医者より難易度の高い歯を見てるでかい病院の先生が硬いっていうんだから、私の歯は硬いんだろう。

グリグリガリガリされていた割には、抜かれた歯はつるんとしていた。

あ、今回は1~2割頭の出た斜めに生えた親知らずです。

 

金額は前回同様4050円(だったはず)

 

そういや今回めっちゃ縫われた感覚あったな。4~5箇所は確実にある。

 

 

そんなわけで前回微塵も痛みを感じる事なく終わったので、調子に乗っていた私は麻酔が切れるまでぐーすかと眠りこけていた。

そして丁度麻酔が切れるといわれていた時間に目を覚ますと、なんとなく痛い。手で押さえてイタタタみたいなことをする程じゃないけど、じわじわと痛いみたいな感じになっていたので、そそくさとロキソニンを飲む。

夜寝る前にも飲んで寝た――で、翌日朝痛くない!まだ昼まで時間があるが、現時点でもなんか痛くなりそうな予感みたいなムズムズ感はあるものの、痛みはなし。

 

前回全く痛まなかったのはなんでかとか思ったけど、びびって麻酔きいてるうちにロキソニン飲んでおいてた事を思い出したんだよね。そりゃ痛み感じるわけもないね。

でも、前回も今回も翌日にはもう飲んでない日々を送ってるんだから、やっぱりあの先生敏腕なのでは????すごいな、今回も先生が担当になってくれた事に感謝しておかねば(担当医は指定できないのでランダム)

 

今回も無事何事もなく抜糸まで終了する事を祈っておこう。

 

(昨日の夜と今日の朝に飲んでと言われていた抗生物質を飲んでいないことを会社に着いてから思い出して、絶望している)

 

エゴをとるか人生をとるか

疲れた…すんごく疲れた。

 

年始に祖父が他界し、介護者?私の場合今は祖母一人となったが、祖母との向き合い方については考えても結論が出たためしがない。

そもそも私は自分一人で祖母を見ているわけではない。

祖母には呼べば来る娘が私の母を含めて三人いるし、呼ばなきゃ来ないものの孫もそこそこいる。みんな成人済だ。

だから、全員が協力すればなんてことはない。

そのはずなのに、現実はそう上手くはいかない。

孫の半分は家庭を持っている。正直家庭を持っていようと思う気持ちがあれば月一でも祖母の家に顔を見せるなり、これないなら電話で話すなり出来るだろうと言いたいが、まあ各々の事情がある。

肝心の娘三人のうち二人も病院の付き添いなど必要な事はやってくれるが、祖母との接点は数時間しかないものばかり。

 

祖父を施設に入れて一人になった頃から祖母が言う言葉がある。

「動かないから一食しか食べない」

監視カメラを付けているわけでもないから実際のところは分からない。

だけど、我が家にきてもここ数か月は一日の半分を寝て過ごしているのではという位床にいる時間が長くなっている祖母を見ていると、まあそれでもやっていけるんだろうななんて思っていた…が、我が家に来ている間の暴食具合は凄まじいものがある。

もしかしたら前に書いたかもしれないが、私はまがった~ことが大嫌い~~~なので、言ってる事とやっている事が一致しない人間が心底嫌いだ。

なので、祖母の言動は私の精神的ストレスど真ん中。

今月は作るのが面倒でお弁当を食べた日があった。しかも昼じゃなくて夜。夜は断固として米を食べようとしない祖母も弁当になっていると手を付ける。食べる前まで寝ていた事もあり「食べれる分だけで良いよ」なんて声をかけたのも束の間、ちょっとよそ見しているうちに全部食べ切ってしまっていた。

昨日なんて前の夜に出した残り物のおかずを朝一人でペロリと食べていた。夜もアホほど食っていたというのにな。おい、遠慮ってものを知らねえのかと言いたくなった程に食いつきが良かった。食べてくれて嬉しいの感情よりイラっと来る方が先だった。

 

母にも言ったが今月は限界が来るのが早かった。水曜日の夜に家に来たはずなのに金曜の夜か土曜の夜にはもう無理!!!と叫びたい程(精神的)に疲弊していた。

だからこそ、いつも以上に祖母の言動に苛立ちを覚えてしまったのだろう。

 

そんなに嫌なら離れればいいだけの話。そんなの分かっている。

私が自分の人生を犠牲にしていると思いながら、娘のくせに碌に向き合わない叔母たちに苛立ちながらも祖母に時間をさくのはエゴ。

自分が後悔したくないから。

最期の時に祖母に何もしてあげられなかったと泣きたくない。

祖母の介護で疲弊していく母を放っておけない。

大きな理由としてはこの二つだと思う。

実際のところは祖母に対してもう十二分にやっているという感覚はあるから、母を思ってが大部分を占めている。

 

その選択をして今生きているのは私。

本当に無理なら、自分の人生を生きたければ全てを捨てればいい…なんて、それが出来たら苦労しないんだけどね。

 

私が苛々しながらも祖母と向き合っている事を母は分かっている。なんだかんだで見捨てられない私を母は上手く利用していると思う。

でも、そんな私を重いと母は言う。こんなに一緒に頑張ってるのに何言ってんだこの野郎って感じ。

私の人生を生きて欲しいなら私が引っ越したら自分のせいだと思っちゃうとか言わないで欲しいし、もっとちゃんと金銭的に自立してほしい。

一人で大丈夫だなって思える生活をしてほしい。

 

私はザ・長女だねと言われる事が多々ある。

まわりをまとめたり、自分を後回しにしたりと色々あるらしいが、確かにそう生きている自覚はある。だからこそ、自分の為に生きるという感覚が理解出来ない。自分のやりたい事をする為に誰かに無理を強いるとか何か負荷をかけてしまう事が無理。無理寄りの無理。

高校卒業の時だって家に余裕がないのを分かっていたから美容師の夢は諦めた。数年経っても諦められなければ自分で行けばいいと思って。

別にやりたくもない仕事を頑張っていたのだって小さい時から一緒にいた愛犬の為に働いていた。

私の人生はいつだって自分じゃなくて誰かが理由になっている。

自己犠牲型?ともいうらしいけど、最近は人や何かを理由にしているだけだななんて自己分析して目から光を失いそうになる時もある。

 

そう言えば祖母が言っていた。年を取ると身勝手になるんだって。自覚はあるらしい。

ふっざけんなと言いそうになるも「へえ~」と返せた時、私も大人になったなと思えた。いつか私も長生きしてしまったら、介護士さんに同じ事を言ってやってしまうかもしれないからね。全ては己に返ってくるだっけ。

祖母が我が家に来た時に暴食気味になるのだって、誰かと食べるからだって分かってる。一人で食事をとる事が少なかった人だから、一人の食事は味気ないんだろうけど…

分かってても、どうにもならないこの苛立ち!!

一つに苛々すると些細な事にも苛立ってしまう。ああ、生きづらい。

 

今日祖母は一週間のお泊り期間を終えて帰るが、その前に寿司屋に連れていってあげなければならない。さて、彼女はどこまで食べるかな、、給料日前なんて気にしてくれないよな~~~!!あ~~~~~!

 

とりあえず来月はちゃんと風呂に入って、節度ある食事量でおさめてくれ。

 

光の速さで過ぎていった12月と1月

完全にここの存在を忘れていた…まだ申請書のまとめ方とか書いておきたい事はあるのに「ブ、ブログ、なんだっけねそれ」状態である(今)

 

タイトルの通り、すごいスピードで二ヶ月が過ぎていった。

ブログ内では触れてないが、私今トテモ仕事タイヘンネ。ほぼワンオペヨ。

それで理不尽な事があったから上に不服申し立てをして「今回この申し立てをするにあたり、腹決めてるのでそこんとこよろしく」と言ったらクソみたいな方向に舵切りやがったので、もうないなと思いました。まる。

そんなわけで二月も終わろうとしている今もワンオペでやっているわけだが、そんなクソみたいに忙しい日々だろうと毎月祖母はやってくる。

2022年の年越しの時はぼっちは可哀想だとクリスマスを祝いに行き、カウントダウンも夜中まで祖母の家にいてその瞬間を迎えたりしていた――が、如何せん時間に余裕がない。

というわけで今回は年末から我が家に来てもらった。そしたら親戚で変な事言い出す奴が出てきたりしてね。この家系一筋縄ではいかないらしい。

こっちからすれば「どういう解釈の仕方してんだよ。話聞いてんの?」とキレたくなるも、祖母が「意味が分からん」と一言で断ち切ったので私もそれで通す事にした。細かい事気にしてられない。そんな心の余裕はない。

 

 

慌ただしく過ぎていく年末年始。

仕事が始まり間もなくして施設の祖父が危ないと連絡が入り、急遽仕事を休んで施設へ向かう。途中祖母を拾っていかなきゃならなかったので我が家の到着が一番最後だったわけだが、それまでにひと悶着あったらしい。今回は考え方の違いもあるけど、例え親相手だろうと物事の善悪をはっきり言う人なんだと分かり、元々良かった従兄の印象が爆上がりした。

目こそ開いてくれなかったが、まだ息はあった。けれど、皆が、いや祖母がきた事で満足したのか祖父はその日の夜に亡くなってしまった。

そんなわけなので、差し迫ってくる問題は通夜諸々。

私は直接的に関係ないけど、一般的な思考を持ち合わせてない人間が含まれる姉妹間で上手く話がまとまるはずもなく、結局間接的に巻き込まれながら当日を迎える事となる。

 

――とまあ、本当に色々あった。

父の喪が明けたかと思えば祖父。仕事しかりプライベートしかり平穏な日々が戻ってくるのはまだまだ先だなーと遠い目をしながら、生きる難しさについて考えるアラサーは今日も虚無顔で仕事をするのであった。